教育改革の本質

2016年から始まり、2020年の大学入試改革、そして2022年の高等学校学習指導要領(主体性をもって問題に取り組み、答えを生み出し、新たな価値を創造できる人間を育てる)までの一連の教育改革は、なぜ明治以来の大改革と称せられているのでしょう。

それを理解するためには、幕末あたりからの日本の歴史を学ばなくてはなりません。

簡単に説明すると、江戸時代の徳川幕府は、武士が日本社会を統治していた封建制度社会と呼ばれていました。ただし、鎌倉幕府から始まる中世封建社会とは同じではありません。また、京都室町に幕府を開いた足利政権下の封建制度とも異なります。

徳川幕府は、儒教の流れを引く朱子学をその根本に置いた中央集権体制と連邦制度体制の両面を持った政治体制であり、また、天皇を頂点とする律令体制下の朝廷を残した二重統治体制を取り入れていた、いたって複雑な社会でした。

従って、政治を担当する封建体制下における上意下達を旨とする従来の武家社会の在り様と、律令体制下の朝廷としての在り様の両方に精通しておかねばならず、その規範の根幹に儒教と国学の双方を熟知しておく必要があったのです。また、経済においては、金本位制の東日本と銀本位制の西日本のこれまた二重体制を掌握する必要がありました。また、政治面においては、封建体制下の米経済としながら、実生活面では、貨幣経済が定着しており、こちらもまた二重体制という、極めて複雑な社会を管理運営せねばならない状況に幕府はあったということです。つまり、幕府の要人は、学者顔負けの知識量と整理術が必要となり、結局のところ官僚的役人が不可欠となったのです。

AIのような法理論知識を全面にとりいれ、人ではなく、組織優先型の文明型理論社会が登場する。しかし、社会が安定し町人文化が台頭したことで、人優先の文化型社会に向かっていた。そして幕末、明治維新へと連なっていきました。

明治維新を成し遂げる薩長土肥連合は、下級藩士を中心にPBL(問題解決学習)型のアクティブラーニング(現在に知られているKJ法、ジグソー法、フィッシュボーン法、タウンミーテイング法などを駆使し、松下村塾ではさらにはダイバーシティの環境で行っていた。)を志を同じくする者たちと日々実践していたことになります。

大量の知識(データ)・整理術を習得している幕府と、実践行動的な連合軍の闘いの結果は、現在の日本のエリートと海外のエリートのそれと同じです。

ゆえに、現代の教育改革は明治維新以来の大改革といえるのです。またこの度の改革の方向はいたって明確で、経済・経営に焦点を当てつつ、自ら発展向上させることのできる人格構成にあります(Society5.0、学校教育Ver.3参照)。やっと教育が民主主義社会態勢に追いついてきたともいえます。主権者教育は、単なる個人主義教育ではない。個人の集合体である社会を尊重し、リードできる人財の育成であります。

果たしてそのことを現教育機関がどこまで理解し、対応しようとしているかが論点となります。決して単なる偏差値向上のための教育では未来社会を乗り切ることはできないのです。