日本における学びの在り様

日本における教育の在り様とは、どのようなものだったのだろうか。

戦後教育は、アメリカに倣い、新学制のもと、復興の名のもとに日本の経済を支える現場技術労働者と、企業組織を支える職場リーダーを大量に輩出する大衆市民教育システムを展開してきた。昨今では、現場技術労働者は、AI搭載の機械に、職場システム管理もAIにて行う方向にあるため、技術系では、「匠」とよばれる高度な技術や芸術性を伴う職人しか生き残れそうにない。事務系はほぼ全滅に近い状況になると予想されている。要するに「PDCA」と呼ばれるシステムは、AIの独壇場ということになりそうだ。おそらく人間の仕事は「意思決定」に係るものになるだろう。

実は、江戸時代における日本の教育は、すでにそのあたりのことに対応しているのだ。

政治を司る武士階級への教育は、「藩校」をその代表として、「意思決定」をする者の教育が展開されており、職人は「徒弟制度」のなかで、現場における体験教育が存在している。

また、商家においても、「丁稚奉公」という体験教育が展開され、その人物の適性と能力に応じた職位につく。この制度は、「児童労働」と非難を浴びてきたが、まぎれもなく、商家における、適材適所を旨とする人材育成のための教育制度であった。

町人の子どもにおいては、寺子屋において、教養度の高い牢人(浪人:仕官していない武士)が、初歩的な教養を習得させていた。

これらは、現在のアメリカで注目されている、「オルトスクール」そのものである。

この江戸時代の教育制度があったればこそ、明治時代における驚異の近代化が実現したのである。